日々是好日
2018年07月27日(金)
この語は中国の大禅匠、雲門文偃禅師の言葉です。
日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉であります。日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのです。
好日の好は好悪の好ではありません。積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。
(少林山副住職・広瀬大輔 記より抜粋)
今朝のテレビでこの言葉に出会い、思い出した言葉です。
ついつい眼の前の事にや過去に囚われ忘れがちな言葉です。
反省、反省。
日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉であります。日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのです。
好日の好は好悪の好ではありません。積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。
(少林山副住職・広瀬大輔 記より抜粋)
今朝のテレビでこの言葉に出会い、思い出した言葉です。
ついつい眼の前の事にや過去に囚われ忘れがちな言葉です。
反省、反省。